東京高等裁判所 昭和26年(ラ)31号 決定 1952年12月27日
抗告人 高橋重三郎
右代理人弁護士 中山光雄
主文
原審判を取り消し、本件を宇都宮家庭裁判所栃木支部に差し戻す。
理由
本件抗告の要旨は次の通りである。
第一、抗告人の準禁治産宣告取消申立の理由の要旨は、抗告人は今日既に準禁治産宣告の原因となつた浪費をすることなく、改慎して植林事業を励んでいるものであるから、その原因はすでに止み、準禁治産の必要がないと云うにある。しかるに原審判は抗告人は父ならびに妻子と別居して、妾を持ち云々、抗告人の謂う浪費の止んだ事実は、これを肯認することは出来ないといい、抗告人の右取消申立を却下したのであるが、およそ浪費者をして準禁治産者となす所以のものは、その性癖として財産を保護することを思わず平常これを濫費してその結果遂に家財を蕩尽し、妻子一族を困窮におちいらしむるが故にその能力を制限するものであるから、本件取消申立においても今日なお、これが能力制限の必要ありや否やの検討を要する。
第二、原審記録を詳細に調査するに、
(一) 証人田村正一及び根本健藏の各供述をみるに抗告人本人は忠実に植林事業を経営し居りて、財産浪費の事実は全然なき旨を証言している。しかるに原審においてはこの有利な供述を看過し、原審判理由中にも証拠としての摘示を忘れ、ひいては、これが証拠として措信すべきや否やにつき、全然判断をなさないものである。これ明らかに審理不尽にして理由不備の違法がある。
(二) 原審判理由中に申立人は父ならびに妻子と別居し、妾を持ちというもこれを以て直ちに浪費者となし得ないことは判例・学説の一致するところであり(学説・判例大系一〇一頁)これを以て却下の理由としたのは不法も甚だしきものである。
第三、次に原審判は父等の所有不動産を擅に売却し、または多額の借金をしてこれを殆んど無為徒食をして居てというも、斯る抽象的な皮相の見解を以てする説示には到底承服し難い。
(イ) 原審においては証人野村岩男外八名を訊問した旨、理由中に掲げて居り、その各供述を見るに当初準禁治産を宣告せられた原因である、花柳界において藝者遊びをなしたるが如き事実は現在においては全然なきものである。却つて証人三浦武は現在重三郎は藝者遊び等はやつていない模様であります(第九項)と供述している。原審は事実誤認も甚だしく、その審判は即ち違法のものと断ぜざるを得ない。
(ロ) 更にまた、準禁治産宣告の時とその取消の時とは、自ら、その審理の対象を異にすべきものである。即ち、前者は浪費者としてその性癖の存否を中心とし、後者はその性癖がなお依然として存続し居るや否やを争点とすべきものである。ひるがえつて本件を見るに、その宣告の時は藝者遊びをなし、これがため浪費の性癖ありと認定せられたるも、本件においては今日なお依然として藝者遊びをなし、これを反覆継続していることと認定し得ざる以上、その事由止みたるものと判断すべきが自然の判断であつて事実に徴し、理論に鑑み、洵に妥当穩健なる結論といわねばならない。しかるに原審証拠を見るに藝者遊びをなし、現にこれを反覆続行している事を認定すべき資料は全然ない。よつて原審判はその争点を誤り、延いては事実を誤認したるの違法ありといわねばならない。
第四、抗告人本人の供述(九二丁)を見るに「私ガ今度、再ビ準禁治産宣告取消ノ申立ヲシマシタノハ準禁治産宣告ニナツテ居リマスト信用ガナイノデ商売モウマク行カナイノデアリマス」とあつて、この切実なる本人の衷情を原審は全然顧みないものである。即ち、
(イ) 抗告人の本妻信子は父義吉と不倫の関係にありて、これを動機して、一、二回藝者遊びをなし朴質謹厳なる父義吉の驚愕措く所を知らず、一片のこの事実をもつて直ちに浪費の性癖ありと認定せられたものである。
(ロ) その後横山光子と内縁関係を結びたるも、既に二十有余年を経過し来たり、二子を挙げ父義吉も勢いこれを公認するの関係にありて世間の顰蹙すべき浪費者の蓄妾とその趣を異にするものである。
(ハ) 仮に父義吉所有の山林を売却し、または借財をなし無為徒食し居るとしてもそれは指揮誘導により改悛せしむべく、自ら別途に制裁の方途あるべきである。また、他面仮にしかりとするも、それあるがため浪費癖の存続とはならないものである。進んでこれを認定せんとせば浪費癖の発動慣行と看らるべき、積極的な事実なくば、敢てこれを浪費者と認定し得ないことは自明の理である。
(ニ) 抗告人はこの宣告を受けて既に三十有余年を経過し、年令六十歳を超え、今なお依然として浪費の性癖ありとは極めて異常の事例といわねばならない。今、これを冷静に立ち帰つて見るに先ずこの三十有余年間に本人の資産増減を検するが最も緊要である。原審においてはこの点に関する調査を全然なさずして軽率に速断したのは審理不尽も甚だしき違法ありといわねばならない。
以上これを要するに原審判の骨子は父の山林を伐採し無為徒食にありと雖も、そは即ちこれを以て浪費者と断じ得べきではない。本人は真に改悛して正業に忠実ならんとするも如何せん、その肩書、準禁治産者にして社会の容るるところとならず、遂に現在本人の現況にあるものである。若しこの間の事情を審に理解し、勇断以て、この忌むべき肩書を徹去せば必ずやその懸念は雲散、霧消一片の杞憂であつたことを知るに至るであろう。即ち原審判は能力の制限を以てその人の保護となしたるも、却つてその結果は、その人の伸長を妨害し、延いては、その一族の不幸を招来するの結果とならざるを得ない。これ即ちこの抗告の根本要旨とするところである。よつて原審判を取り消し、抗告人に対する準禁治産宣告取消の裁判を求める次第である。
よつて、当裁判所は次の通り判断する。
原審判はその理由中においてその挙示の証拠により申立人(抗告人)は父ならびに妻子と別居して妾を持ち、父等所有の山林の立木を擅に売却し、又は多額の借金をして之を以て殆んど無為徒食をして居て、依然浪費をして居る状況が認められ、従つて申立人の謂う浪費の止んだ事実は之を肯認することができない旨を判示して抗告人(申立人)の準禁治産宣告取消の申立を却下したことは記録上明らかである。ところで原審判挙示の証拠によれば原審認定の如く抗告人が父等所有の山林の立木を売却し、又は多額(原審の審問における申立本人高橋重三郎の供述によれば約四十万円)の借金をなしたことがうかがわれるけれども、これら立木売却代金及び借入金が如何に消費されたかについては原審は殆んど審理をしておらず、原審判においてもこの点について判示するところがない。原審において右本人の供述するところによれば同人は昭和二十一年頃より父義吉と別居するようになつてからは、生活に困るので足袋、石鹸等の行商をしているが一日百円位の収入では生計不如意で他人の援助を受けて生活していて、右別居後現在までの借金が約四十万円に及んではいるが、現在は藝者遊び等は全然やらないし、他に無駄遣いもしない。妾横山光子との間には二人の子供が生れ、光子はその子供の子守をしていて他に何もやつていないと云うのであるから、抗告人の右別居中の生活状態が若し右本人の供述するが如くであるとすれば、質素にしても相当多額の生活費を要すべく、その生計を維持するがためには父義吉の側から金品の援助なき限り、他より相当多額の借金をなすことも止むを得ないものといわねばならない。およそ浪費者とは前後の思慮もなく財産を処分し、または負債をつくる者をいうのであるから、右立木売却代金及び借金が若し抗告人の別居中の生計を維持するために費消されたものであつて、藝者遊びその他に思慮分別もなく濫費せられたものでないとすれば、これを必ずしも浪費状況にあるものと即断すべきでない。従つて、原審が右立木売却金及び借金の使途について審究せず、その審判理由において漠然と無為徒食していて依然浪費をしている状況が認められると判示したのは審理不尽、理由不備の違法を免れない。
よつて本件抗告は右の点において理由があるから、他の点について判断するまでもなく家事審判規則第十九条第一項により原審判を取り消した上、本件を原裁判所に差し戻すを相当と認め主文の通り決定する。